たおやかに 生きる遺書を書く ということ 某日の東京の講習会で しょっぱなから「大事な方へ」という便箋に 遺書を書くように言われた。 大切な人を思い浮かべながら書くという。 補足説明もあった。 人の気持ちも変わるから、 書いたときの日付を 必ず書いておくこと!といわれた。 スラスラ書いている人。 書きながら、泣き出す人。 目頭を押さえている人。 筆が進まない人・・・色々な人がいた。 10分ぐらいの間の出来事。 それぞれの思いが 垣間見えた10分。 自分自身が死別の悲しみの中にいるのか、 思いを馳せているのか。 それらをうかがい知ることができない。 自分のは・・・といえば なんか、遺書と言うより、、ものの処分についての申し送り事項みたいになっていた。 感謝とかも確かに書いたけど。 物が多いってこと、 改めて 感じた。 本。 服。 資料・・・・。 処分にも お金がかかる と 思ったら、 それ用のお金を 貯めておかねば。 なんだか変な方向に考えが移っていった。 この講習は、 ちゃんと 真面目なもので 遺族ケア という分野のもの。 アメリカやイギリスでは、かなり進んでいる分野だけど、 日本は立ち遅れているらしい。 死別の悲嘆 から 再び歩き出すまでの お手伝いをする というもの。 友人を喧嘩や事故でなくしたり 夫や子供を相次いで、病気や事故で亡くしたり 自死でなくしたり 災害でなくしたり 失った時期や状態には違いがあっても 大切な人を失った、 喪失感 これは同じ類のものなので、ケアが必要なんだとか 寄り添う 共感する 受容する カウンセリングなどでよく耳にする。 福祉の現場でも でも、実際は、どの程度、寄り添うことが出来るのだろう。出来ているのだろう。 本当の痛みを知ったものしか知りえない。 でも、そう言い切ってしまうと 誰も、寄り添えないことになってしまう。 絶対に、同じじゃないから。 だから、想像力が必要なんですよね。 相手のことを理解しようとする心や態度、姿勢が そういうことを この講座で 学んだ気がする。 こういう資格を持っています!じゃなくて、 資格なんてなくてもいいんですよ。 その人を見て、その人のことを本当に心配していたら 誰でも、自然とできていること そう感じた。 ただ、ただ・・・ |